出入国物語
− 役に立たないエッセー その2−

 私は『どこでもドア』なんて便利なものは持っていないが、幸いにして私には、多くの国でビザが不要になる魔法の赤い手帳があった。この赤い手帳を右手に、そして左手には、日本の長い休みにはPEXとさほど変わらない値段になってしまう、名前負けする格安航空券を武器に、私は多くの敵を撃破してきた。せっかくチャンプァさんから黒レンジャーの名前を頂いているので、この度、敵との戦いの一部を披露することにした。余りに披露すると、黒レンジャーではなく、茶レンジャー(すいません、寒いオヤジギャグでした。反省します)に改名しなければならないので、ほんの一部とする。今回はタイに限らない。

 でも……、皆さんもこういうトホホな経験、一つは二つはありますよね?


俺はアルカーイダぢゃない!
2001年12月22日 成田空港 手荷物検査場

     成田空港はとても混み合っていた。妻の兄には7歳と4歳の二人の子供がいる。腕白盛りの男の子達で、9ヶ月振りの再会である。私は彼らのお土産に玩具を携えていた。「忍者セット」である。プラスチック製の長刀と短刀、手裏剣が2つ入っている。誰がどう見ても「幼児向けの玩具」である。

    が、時期が悪かった。私はその玩具を持って出国カウンターまで辿り着くことはなかった。あの悪夢の9月11日から3ヶ月後の成田空港。そう、成田空港は常軌を逸した厳戒態勢下にあったのだ。

      係官 「お客様、これは…ですよね」
      「え? ただの玩具です」
      係官 ハイジャック防止のため、刃物の機内持ち込みは禁止されております」
      「は、刃物!? 刃なんて付いてませんよ」
      係官 「どうしても言うのであれば、お預かりになります」
      「はぁ、じゃぁ、『どうしても持っていきたい』のですが」

     係官は私に預かり証を手渡した。「Imitation sword」と書かれている。係官の名札を凝視したが、所属会社は有名な警備会社のもので、吉本興業ではなかった。ドンムアン空港着。預かり証を提示すると、JALのタイ人職員は玩具の刀を持ってきた。

      「いや、玩具(toy)ではなく、模造刀(imitation sword)ですよ。これは玩具です」
      係官 「そうですね。模造刀は見当たりませんでしたが… 探してきます」
      「すいません。冗談です。でも、これを『模造刀』と呼ぶことも、機内持ち込みを禁止することも無理がありませんか?」
      係官 ……日本人は英語が下手だから…

    御意。でも、toyも書けない英語が苦手な奴が、imitation swordなんて書くかぁ? 何か『別なもの』が苦手なんじゃないかなぁ。


それってガンチャ? ハシシ?
1996年1月 成田空港 税関

     私は2週間に渡るカンボジア観光から帰ってきた。帰りにタイに寄り友人達と楽しい時を過ごした。私はターンテーブルから機内預け荷物が出てくるのを待っていた。荷物をピックアップすると麻薬捜査のためだろうか、犬を連れた係官が近くを通りかかった。何とその犬は、私の荷物の匂いを嗅ぐなり、数回吠えたのである。

     何かの間違いだと思った。麻薬捜査犬に間違いはあるさ、と。周りをみるとやけに職員が多いような気がする。何をするでもなく、遠巻きに乗客を眺めている。いや、私の動きを凝視している。他の乗客達も犬と私を眺めている。係官は犬を制すると、何もなかったように次の荷物に移っていった。職員はこちらを見ていないような振りをしながら、注意深く私を観察している。カウンターの職員も私がどこに並ぶのか緊張している様子が見てとれた。同じ便の乗客達のひそひそ声が聞こえる。

      「ほんの出来心だったんだろうけど、運が悪かったな」
      「ねぇ、何なの?」
      「そりゃ、あれだろう、麻薬だよ。ま・や・く」
      「えぇ!?」
      「馬鹿なやつだな」

     しかし、私には全く身に覚えはなかった。もしかしたら、タイの友人達は何か私の荷物に忍ばせたのだろうか。いや、嵌めるつもりであれば、私は既にドンムアン空港で捕まっているはずである。その場で荷物を解いて確認したかった。しかし、周りの視線は私に集中している。ここで見つけても結果は同じである。私は意を決し、一番空いているカウンターに並んだ。余分な煙草は買っていないので「無税」のカウンターである。税関職員は努めて平静を保ちながら、威厳のある声で私に訪ねた。

      係官 「何か申告するものはありますか?」
      「えーっと、ないです」
      係官 「日本に持ち込めないもの、人から預かったものはありませんか?」
      「ありません」
      係官 「荷物はこれだけですか? 中身を確認しても良いですか?」
      「えぇ、どうぞ」

     いつの間にか私が並んだカウンターには税関職員が2人応援にきている。ふと後ろを見ると、私の後ろに並んだ人は他のカウンターに誘導されている。税関職員は全ての荷物を台の上に並べた。Gパンのポケットの中、胸ポケットに入っていた煙草も箱から出され全て並べられた。心なしか税関職員は勝ち誇っているように見える。荷物という荷物を全て入念にチェックしている。10分も経っただろうか。応援に来ていた職員が、私に質問した税関職員に耳打ちした。狼狽している。更に指示が出た。

      「もっとよく探せ。絶対にどこかに隠しているはずだ」

    靴を脱がされた。靴下も脱がされた。麻薬捜査犬は靴や靴下には全く反応しなかった。麻薬捜査犬が台の上に上げられ、荷物の匂いをひとつひとつ嗅ぐと、ビニール袋の前で数回吠えた。

     税関職員の勝ち誇った顔。私は記憶をたどる。あれは何だったか、と。ビニール袋が開けられる。中にあったのは干からびた漬物。……思い出した。アンコール遺跡で出会った老齢の日本人が「私はねぇ、毎日漬物を食べないと駄目なんですよ。あなたにも分けてあげましょう」と私に押し付けたものだった。あれは…大麻ではない。多分、ヘロインやコカインでもない。頂いたときに一緒に食べたのは確かに漬物、そのものである。

    麻薬捜査犬を連れた職員がばつの悪そうな顔をして、税関職員に耳打ちする。部分的に聞こえてきたのは、

      麻薬捜査官 「あれは………で、………こともあるんですよ」
      税関職員 「えぇ! そんな馬鹿な。…………………だからって………ことって………でしょ」
      麻薬捜査官 「でも、これ以上…………ても…………ですよ」
      税関職員 「そんな、……………………した以上、あるに決まって……………じゃないか」
      麻薬捜査官 「………………たように、希にですけど…………………というのも………ですよ」

    という会話だった。私は麻薬捜査官とおぼしき人に事情を聞いてみた。

    「麻薬捜査犬にとって、ある種の漬物の匂いと大麻の匂いはとても似ていて混同しやすいんです。今回も大麻は発見されず、漬物が出てきたことから麻薬捜査犬の誤判断に間違いないでしょう。大変ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。疑いは晴れましたので結構です」

     心情的に納得していない税関職員を尻目に、私と麻薬捜査官は荷物を詰め直したのであった。洗濯物も全部引っ張り出されたので恥ずかしい。余りのくだらなさに苦情を言うのも忘れてしまった。後日この事件のことをタイの友人に語ったところ、「俺達を疑ったのか、とんでもない奴だな」と総スカンを喰ってしまった。幾ら好意でも漬物は貰わない方が良いだろう。


得したのかなぁ? どう思います?
1997年12月 カンボジア・ポチェトン空港 ビザ発給カウンター

     カンボジアでは空港到着時に、ビザ発給申請用紙、20$、写真を提出するだけで簡単に観光ビザを取得できる。こう言っては悪いかもしれないが、要は外貨が欲しいだけで、ビザ発給申請用紙には名前だけ書いてあれば、後は未記入でも平気だとか、写真はプリクラでも構わないという噂もある。噂の真偽はともかく、金欲しさであることは私にも感じられた。6人程が一列に並び、先頭の係員に一式を手渡すと、流れ作業でドル紙幣が抜かれ、最後にスタンプが押されたパスポートが受け取れる、はずだった。私の直前の人までそのような流れになっていたが、私が書類一式を手渡すと、係官は私の顔を凝視して手を止めてしまった。

     何だろう。何か書類が不足しているのだろうかと思ったが、彼は書類には視線を落とさず、ずっと私をみつめている。正確には彼の視線は私の胸元に向けられている。私が自分の胸元に視線を落とすと、胸ポケットにはさんだ4色ボールペンに目が止まった。彼も4色ボールペンを凝視している。そして、おもむろにGive meとのたまったのである。出入国の書類を書くためにボールペンは必須である。日本で買えば100円ぐらいのものだが、あげてしまうと、またどこかで購入しなければならない。そのような事情を説明しても彼は納得しなかった。

      「それをくれないと入国させない」

     子供である。いや、子供以下である。彼はおもむろに踵を返し、私のパスポートを手に事務所に戻ってしまった。困ったことになった、と思っていると、彼は小走りで戻ってきた。

      「じゃあ、このボールペンと取り替えてくれ」

     彼の手には、新品ではないが、パーカーのボールペンがあった。確か、2500円ぐらいで売っているモデルである。不審に思ったが、インクも残っているし、取り替えることにした。用が足せれば何の問題もない。多分、このパーカーのボールペンも旅行者から巻き上げたものだろう。彼は手に入れた4色ボールペンで遊び始め、周りの職員に自慢している。

      「何でもいいから、早くビザを出せ」

     私と他の旅行者の苦情により、ビザ発給業務は正常に戻ったのである。多分、毎日ある何でもない出来事だったのだろう。


タイ語、お上手ですね
1998年8月 バンコク発台北行き マンダリン航空機内

     定刻にドンムアン空港を飛び立ったマンダリン航空(中華航空の子会社)は、順調に台北中正機場に向け飛行していた。眼下に海が見える頃、そう、ベトナムの海岸線を超え、南シナ海が見える頃、食事の時間になった。スチュワーデスが客に機内食の好みを聞いている声が前方から聞こえてくる。どうやら、このスチュワーデスは語学が堪能らしい。西洋人には英語で、日本人には日本語で、台湾人には北京語で好みを聞いているらしいことが分かった。台北経由で東南アジアを訪れる日本人も多いのだろう。

     そのスチュワーデスの名字は今でも覚えている。「陳 某玲」、下の名前は忘れてしまったが、ネームプレートにある名前をみて、台湾総統だか台北市長と同じ名字なんだなぁ、と思ったことを今でも思い出す。「あの人は台湾人だな」と私が思った乗客にも、日本語で訪ねている。乗客はネイティブな日本語で反応する。さすが接客業、人を見る目は確かである。私の番になった。彼女は、

      「アオ・アライ・カー(何にしますか)?」

    と私に訪ねたのである。………………… 前言撤回。何故、私のことをタイ人と勘違いしたのだろうか? しかし、反応してしまう自分が不思議というか悲しいというか……

      「ユー・アライ・カップ(何がありますか)?」
      彼女 「ユー・プラァ、ガイ(魚と鳥があります)」
      「アオ・プラー(魚をください)」
      彼女 「カー(はい)」

    このままでは負けっぱなしである。私はささやかな反撃を試みた。

      「クン・プゥ・パッサー・タイ・ケン・マクマーク(タイ語凄く上手ですね)」
      彼女 「コップン・カー(ありがとうございます)」
      「チット・ポム・コン・ニップン(でも、僕は日本人なんです)」

    彼女は咄嗟のことで、よく理解できないようだった。

      「ウォー・ズー・リーベンリン(我的日本人;私は日本人です)」
      彼女 「…………………」

     神経を擦り減らす消耗戦に私が勝利した瞬間であった。しかし、油断は禁物である。台北で乗り換えた羽田行き中華航空の機内で、私は中華航空のスチュワーデスから日本の入国カード(外国人用)をしっかりと手渡されてしまったのである。