父娘物語

妻が私に娘がいるのを告白したのは、7年ほど前、私がプロポーズをして妻がOKした後でした。
狡いですよね、「だったら止めとく」なんて言えるわけありませんもの。
その時は動揺を隠しつつ「なんで今まで言わなかったの?紹介してよ」と言うのがやっとでした。
そうは言ったものの、その後数日間は悩みました、私にはたして父親なんか勤まるんだろうか、娘の
方は私を認めてくれるだろうか等々・・・
しかし、元来悩むのが不得手の私のこと、とにかく会ってみよう。
ゴチャゴチャ考えるのはそれからで良い、と腹をくくったのでした。

幸い、すぐ後でお義母さんに正式に挨拶に行く事になっていましたので、そのときに引きあわ
せてくれるという約束を妻から取り付けました。


ロイエットの妻の実家でお義母さんへの挨拶も無事に終わり、その流れで宴会に入ってしばらく経
ったときでした。
夜道を1台のバイクがやって来て2人の少女が私たちの前に降り立ちました。
妻が大きいほうが娘のAだと紹介しました。
えー!!
私は驚愕しました。
バイクに乗ってきたから・・・いいえ
思ったより大きかったから・・・いいえ
何より私を驚かせたのは、私がその2人を良く知っていたからです。


妻と初めて会ったのはもう10年近く前になります。
私は妻よりも先に妻のお義母さんと知り合いでした。
ロイエットを起点にイサーン地方のあちこちを旅行していたときに、何時も食事をしていたのがお
母さんが当時やっていたお店だったのです。
私がお店に通うようになってしばらくしてからバンコクで働いていた娘が帰ってきているとお義母
さんに紹介されたのが今の妻です。

そのお義母さんのお店をちょくちょく手伝っていた2人の小さな可愛らしい女の子がいました。
それが嫁さんに紹介された2人だったのです。
それまでは妻は親戚の女の子だと言っていたのです。
妻より先に会っていたなんて。
親子3代で謀られたわけです。
私にはもう「参りました」と言うほかありませんでした。


ここまで読まれて、私を良く御存知の方は「Bはどうしたの?もう一人の女の子はBじゃないの?」
と思われる方も多いでしょう。
そう確かに皆さんが思われる通りもう一人の少女がBだったのですが、これは別に妻が私を謀ってい
たわけではありません。
Bは妻の娘ではなかったのですから。


ここからは人間関係が複雑になってきます。
妻がAの父親と別れたときAは父親の方に引き取られました。
そしてAの父親の妹の娘だったBと姉妹のように育ちました。
二人は本当は従姉妹同士だったわけですね。

私が妻と結婚した当時Aの父親は既に再婚し、子供も何人かいたようです。
しかしAは父親の新しい奥さんと折り合いが悪く、妻はAを引き取りたがっていました。
結婚を機にロイエットに新しい家を建てた私はAを引き取ることに積極的に賛成しました。
Bの方はと言うと、両親とも彼女には関心が薄く、Aの義母とも折り合いが悪かったらしく、ほとん
どの時間を私の家で過ごすようになっていました。

Aが高校2年の終わり、Bが中学を卒業近くになってきた頃、Bがだんだんと私の家に寄りつかなく
なってきました。
実家の方にも戻っている様子はないし、心配した私はAに彼女を探すようお願いしました。
結局Bは友達の家を泊まり歩いているところをAに見つかり連れ戻すことができたのですが、Aに問
い詰めさせた結果「Aは高校に行って、この先大学まで行くだろうけど、私は経済的にも高校には行
けない。これ以上Aの両親(私と妻)に甘えるわけにも行かない。バンコクにでもでて何か仕事を探
すほかはない。」
と思い悩んだ末の行動だったようです。
これを聞いた瞬間、私の心は決まっていました。
妻に言ったのを今でも覚えています「一人も二人もおんなじだよ」


それ以来Bは私の娘として完全に私の家に住むようになり、Aが大学に行くようになった後は私の家
の管理を全てしてくれているのです。
妻にも絶対に2人をあらゆる面で同等に扱うように厳命してありますし、私はBを娘だとタイでも日
本でも公言しています。
むしろこうするのが遅かったぐらいだと思っています。

ただ、彼女の場合はちゃんとした両親がいますので、正式に私の籍に入れたわけではありませんし、
「大学を卒業して仕事を始めたら本当の両親に孝行しないといけないよ」とは言ってあります。
でも、そうなると凄く寂しいだろうなというのが本心です。


Bを娘にするまでは、Aは私に対して何だか遠慮がちで、あまり笑顔を見せてくれることが無かった
のですが、それ以降少しずつですが良い顔を見せてくれるようになりました。
ここ何年かはパパ・サブローなんて呼んでくれるようになって、感激しています。
Bの方も最近はポー・サブローと呼んでくれるようになって、手紙も良くくれます。
反対に妻が「なんで私には手紙ないのー?」なんてむくれることもしばしばです。


これで私は本当に父娘になったなんて安心しているわけではありません。
ようやくスタートラインに立つことが許された、位でしょうか。
義父の立場など危ういもので、何かミスをすればたちまちそこから転がり落ちてしまうものなのですから。
「飲んだくれでも、ろくでなしでも父親は父親」の本当の父とは違って厳しく険しい道なのです。

私の夢は、数年後か数十年後に私が死んだときに彼女達に泣いてもらうことです。
その時こそ私はパパ(ポー)・サブローから、ただのパパ(ポー)になれるのかもしれません。

--- 了 ---

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