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Fさんのタイでのお見合い結婚

     結婚手続きはほとんど業者でやってくれました。大阪の業者なので、依頼人が大阪の人であれば、全てやることになっているそうです。日本側での結婚届けは私が住所地の役所で出しました。

二度目の訪タイ・結婚式

     平成12年の秋に訪タイして、結婚式をしました。業者からの「(子供連れでなくて)単身で行ってくれ」という申し出もあって、私と日本側業者2人との3人での訪タイでした。業者から「何も用意するものは無い」と言われていたので、妻の家族に簡単なお土産だけを持って、タイへ行きました。訪タイ1日目は、タイへ行って、妻と日本側業者2人とタイ側業者との4人で夕食をとって、寝るだけです。

     訪タイ2日目は結婚式です。昼過ぎから準備に出かけ、半日かけて私の衣装を選んだり(10分ぐらいで終わりました。爪先の先端が大きくとんがっていて、反り返っている靴を履きました)、妻の衣装選び・妻の化粧をしました。

     高床式(普通の家の2階より高いぐらい)の衣装業者(業態はよく分かりません。妻の伝で選んだそうです)で妻の化粧を眺めていました。高床式の床は涼しくて気持ちが良かったです。私自身、高床式の家に住みたいぐらい高床式住居を気に入っています。外国人の私には余り珍しそうな顔をされませんでしたが、タイ人は余り気持ちを表に出さないのでよく分かりませんね。本当は外国人は珍しかったのでしょうか。

     妻の衣装は、タイの民族衣装でした。大袈裟かもしれませんが、自分たちの文化を大切にする姿勢は好ましく思いました。

     夕方からホテルで結婚式です。妻の田舎では、普通は自分の家で結婚式をするようです。参列者の大部分はホテルでの結婚式への参列は初めてだったそうです。実家の村から40人ぐらいの参列がありました。妻の父母、親戚の人の他に村長も来ていました。私の側は、日本の業者が親族席に座りました。

     一般道を音楽隊やタイ版バニーガールを先頭に100mぐらい行進して、ホテルの会場に入っていきました。会場では、タイ音楽の演奏やらタイ舞踊などが沢山あって、厳粛というよりは賑やかな結婚式でした。おばちゃんの知人だそうですが、日本語の上手な綺麗なおかまちゃんもいました。話に聞いていた、タイらしい大らかさを見たように思いました。若いかなりの美人がいて、日本側結婚業者が盛んに写真を撮っていました。

     結婚式の日に初夜の儀式がありました。タイ関係の本をかなり読んでいったのですけども、初夜の儀式については全然知らなかったので吃驚しました。村の人がけしかけて、妻の父母も同じような格好をさせられて、写真を撮られていました。

     訪タイ3日目は、妻の家族と親族10人ぐらいで、運転手付きのミニバンをレンタルして遊びにでかけました。前に行ったのと違う象キャンプ、お寺へ行きました。英語のよくできる若者が1人いて、お喋り(こちらは本当の片言。若者は流暢でしたが)をかなりしました。こちらの象キャンプには、日本人の象使いがいまいした。

     ミニバンの運転手は、英語が流暢でした(ドイツ語が上手でドイツ人の観光案内を主業にしているようでした)。夜の宴会にも同席して、色々と話をしました。中国系の人でしたが、「お父さんが日本軍に殺された(中国で殺されたのか、タイ国内で殺されたのかは聞きませんでした)。神道は嫌いだ」と言っていたことが印象に残っています。私に対して「あなたは、仏教か神道か」と聞きました。日本における仏教や神道の曖昧な関係を英語で説明する自信がなかったので、「仏教徒だ」と答えました。

     妻のお父さんと酒を酌み交わしました。妻のお父さんはその前の年まで、結構長い間、村長であったそうです(妻から後で聞きました。村長の位置付けが私は分かっていませんが、妻の話によると苦労ばかりで金銭的にはほとんど得るものがなかったということです)。普通の田舎のタイ人と同じで、余り自己主張をしない人です。宴席での妻のお父さんの印象に残っている言葉は、「娘は2年に1回ぐらい里帰りしても良いか」というものです(ミニバンの運転手を通訳に色々な世間話もしました)。もちろん私は「イエス」と答えました(1年に1回ぐらい里帰りをさせた方が良いだろうと思っていましたが、金銭的な問題などで実行できないこともあるかもしれないと、私の方からは何も話をしていませんでした)。押しつけがましくない妻のお父さんの印象は、人柄から来るものでした。

     一緒に遊びに行ったうちの1人(7歳の男の子・平成14年時点)は、妻の従兄弟ですが、その子は妻の実家で「子供」として生活しているということを後で知りました(もう1人17歳[平成14年時点]の妻の従姉妹の女の子も、妻の実家で「子供」として生活しています。学費や毎日の小遣いも、妻の両親と妻のお姉さんが出しているそうです)。父子家庭として、自分の子育てで苦しんだ日本の状況と比較すると、タイの方が日本よりも子育てする環境としては恵まれている面もあると思っています。タイにも児童養護施設みたいな施設もあるのでしょうけども、預ける前に親戚一堂で、支えるのですね。

     訪タイ4日目は、妻と2人だけで遠くの少数民族の村や、お寺やタイ王室の別荘などを見に行きました。たまたま頼んだバスの運転手が、前に見合いのときに動物園へ行った運転手と同じ人でした。歩いていると、妻は結構早く息が切れたので「日本へ行ってから、大丈夫かなあ」と思いました(日本へ来てからは、なるべく散歩に連れ出したので、今では日本人の奥さんと同じように歩けるし、歩くのも楽しくなったようです)。

     山の上の有名なお寺には、中国人の団体客がいました。中国もかなり経済発展していることが、目で見て分かりました。結婚式の後の日程は全て妻が考えてくれたものです。私は妻の言われる通りにタイでの観光などを楽しみました。

     その日の夜、日本へ帰ります。空港で「バイバイ、元気でね」と言って妻と別れました。それから翌年の来日まで半年かかりました。

    つづく



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