ドイ・トゥングの恐怖


 チェンライ北方には・・・チェンライより北はないけど・・・山岳地帯に少数民族の居住区がたくさんある。

 ドイ・メーサロンというのは結構有名なところで、王家の力添えでケシの栽培を止め、花を育てる少数民族の姿が見られる。桜も咲くし日本人観光客も訪れる。その南隣にドイ・トゥングというところがあって、峠の上まで行くと雲が生まれる姿を目の当たりにすることができる。

 要するに、ドイというのは山のことだと思えば良い。山の人の棲むところ。

 タイの道づくりは、山があればそこにそのまま道路を敷くという考え方をするようだ。「いろは坂」のようにクネクネ登るんじゃなくて、坂を真っ直ぐに登るように道ができている。

 当時、1300ccのホンダの新車に乗っていた。登りはまだ良い。エンジンが坂道に耐えられるかどうかで、力の限界になればそれ以上登らないだけのことだ。ところが下りはそういうわけには行かない。下手をすれば急勾配を逆落としになる。下りの恐怖を考えれば、力いっぱい登ったりしなかったのに・・・

 とにかく怖かった。命がないと思った。ブレーキが焼ける匂いがした。ブレーキオイルが沸騰していた。今にもガッツンとタガが外れ、そのまま急転直下、崖から落ちると思った。同乗していた嫁に聞いた。

    「この辺に水は出ないかな?」

 水を掛けてブレーキを冷やそうと思った。その道も絶たれていた。焦げつく道路。水が出そうな民家もない。

 私は、嫁を車から降ろし歩かせた。嫁は「あたしの命だけは助けようと思ったんでしょう」と後で言った。そうじゃあない。重量を少しでも減らし、ブレーキに掛かる負担を軽くしようと思っただけだ。

 男の考えは合理的、女の考えは感傷的だと思った。

 この日、夫婦は赤ん坊を置いて遊びに行っていたのだ。あのとき二人で死んでいれば、息子は今ごろ、トウモロコシの皮剥きでも手伝っているんだろう。


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