ビ ザ 取 得 体 験 記

★ 03/Apr.(TUE)/2001

     日本大使館・領事部(ソイ・アソーク、サーミット・タワー9F)にVISA申請に行く。出かける前からヨメと2人でドキドキ。タクシーの中でずっとヨメの手を握る。エレベーターを降りた所、大使館・領事部入り口には手荷物のX線検査器と警備員。思わず緊張してしまう。

     窓口には結構人が並んでいる。皆、不安そうな表情だ。受付の窓はスモークガラスで、こちらからは中の職員の表情は読みとれない。うーん、イヤな雰囲気である。

     待つこと5分くらい。私たちの番だ。窓口は女性の人。VISA申請に来た旨を伝え、書類一式を渡す。パラパラと確認後、結婚に至る経緯書(*1)は?と聞かれる。

      私  「えっ、その中にありますよ。」
      職員  「...あっ、ありますね。」
      職員  「...えー、奥さまは日本語わかりますか?」
      私  「少しは、、」
      ヨメ  「ハイ、すこしわかります。」
      職員  「えっ、聞こえませんよ。」
      ヨメ  「すこしわかります。」

    と大きい声で返答。職員、その後書類の中身を確認、しばし沈黙。と、突然ヨメにタイ語で何事か話しかける。ヨメ、それにタイ語で答える。また沈黙。おもむろに2人で移っているスナップ写真を返される。必要なかったのか?

      職員  「では、お呼びするまで少々お待ち下さい。」

    待合い所の椅子に座りながらヨメに何を聞かれたか尋ねる。

      ヨメ  「ニンシンしているか聞かれたので、5ケ月目だと答えた。」

    との事。やっぱりハラが出ているからすぐ分かるのだろうか。

     待っている間、ココにやって来る人を観察。代行業者、工場研修?で日本に行くタイ人(作業着を着たまま数人のグループ)、やっぱり日本人に付き添われて来ているタイ人、窓口で対応の悪さに文句を言っている日本人 etc...ホント色々な人がいます。

     30〜40分も待っただろうか。名前を呼ばれる。受理票を渡され、2日後にもう一度来るよう言われる。代金はB1,100との事。うん、もしかして受理されたのか? 確かに受理票にも料金B1,100を用意する旨と05/Apr.に来いと書かれている。

     でも、まだ安心できないなあ。

★ 05/Apr.(THU)/2001

     再び日本大使館・領事部へ。午後の開始時間に合わせて出掛ける。本当にVISAがでるのかまだ不安だ。ヨメの友達からも、携帯にVISA出た?コールが頻繁にかかってくる。

     業務開始30分前に着いたが、窓口に既に何人も並んでいる。やっぱり皆不安そうな表情だ。私たちも黙って列にならぶ。時間と共に窓口の行列もどんどん増えていく。さて、受付開始時間だ。やっと順番が廻ってきた。受理票をだまって渡す。

      職員  「B1,100です。」

    あわてて金を払う。あっさりパスポートを渡される。中には「日本人の配偶者等」のVISAシール?(写真入り)と在留資格認定証明所(原本)がホチキスで止められている。

     ふーっ、どっと肩の力が抜ける。思えば長い道のりでした。

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     サーミットタワーを出たところでヨメと喜びを分かち合う。勢いで露天で売っていた服を大量に買わされる。あまり、嬉しくないっす。

     その後、そのままエアー・チケットの購入に以前も利用した××トラベルまでタクシーを飛ばす。13/Apr.、バンコク発の全日空の夜行便、1年オープンを購入。

     しばし××トラベルの人と雑談。以前にもお客さんで予約はしたけど、奥さんのVISAが発給されなくてキャンセルした人がいたとか。ひとしきりアジアに対する日本政府の対応について批判談義。ここは親切でいつも助かります。

★ 13/Apr.(FRI) − 14/Apr.(SAT)/2001

     夕方5時にヨメの田舎××××出発。ソンクラーンで渋滞を心配したが、あっさりPM6:30頃にドン・ムアン空港に到着。ちょっと早すぎ。

     ヨメの両親/姉弟/親戚/近所のおばちゃん、合わせて総勢12名の見送り。まだ早いので皆で空港内の中華料理屋で食事。そこに更に弟夫婦、友人も合流。一体何人になったんだろう。

     出発時間が近づき、チェック・イン、そして涙のお別れ。因みに2人合わせて荷物重量は60Kgオーバー。でもオーバーエクセス料金は取られませんでした。ありがとう、ANA。

     そして、さようなら、タイ。皆、涙ウルウルだったけど、ヨメは一生懸命がまんしてたようです。

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     翌日早朝成田着。ヨメは緊張よりも眠いようです。やっぱり妊婦に夜行便はきつかったかなあ。私もしんどいけど。

     いよいよ最後の関門、イミグレーション。ヨメと2人で外国人用の列に並ぶ。順番が来てヨメと2人でカウンターへ。

      職員  「ダンナさんですか?」
      私  「はい。」

     会話はそれだけでした。税関もすんなり通り、やっと外へ。

      ヨメの一言  「さむい...」

     成田周辺はわずかに桜が残っていました。日本での婚姻届け提出から7ケ月目の出来事です。


(*1)  以下、私が提出した「経緯書」です。一部伏字としましたが参考までに。文章を書いた時は、なるべく優等生的な回答になるよう心がけました。つまり役所ウケするように...

その為、内容の真偽については言及致しません。(^^;) 決してウソは書いておりませんが...あえて書かなかった内容もあるなあ。

 この「経緯書」の内容はあくまで参考とお考え下さい。今後、婚姻手続きを進める上で、当該者が内容を複写し、不利益を被った場合、当方は一切関知しません。

【 結婚に至る経緯書 】

1.結婚の経緯について

     19××年9月に友人とタイ観光旅行に行った際、バンコク市内××地区にあるタイ料理屋(屋台料理)で知り合いました。

     その日、宿泊ホテル(××ホテル)近辺にあるその屋台に、夕食を取る為席についたのですが、私と友人が料理の注文に手間取って困っているところを、たまたま隣のテーブルにいた妻が助けてくれたのです。

     その日は御礼を述べてそのまま別れたのですが、翌日の夕食時も同じ店にいったところ、偶然 妻に再会しました。

     その事をきっかけに 私のタイ語、妻の日本語とお互いにつたないながらも会話がはずみ、結局、翌日の夜からもほぼ毎日のように待ち合わせて食事、ボーリング、ビリヤード等、旅行中は楽しく過ごしました。

     その後、私が帰国後もお互いに離れ難いものがあり、電話や手紙で連絡を取り合いながら、2〜3ケ月おきに私がタイを訪問するようになり、交際を深め、2000年11月5日に、妻の実家である××××県ムアン××××郡××町で結婚式を挙げました。

     結婚式には日本から私の父、母、妹、友人夫婦に参列して貰いました。

     なお、妻との出会い〜結婚〜現在に至るまでの時系列は、以下の通りです。

    • 19××年 9月24日〜9月30日: 9月××日 タイ国にて妻と知り合う
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      (中略 : 年月日と「妻に会う為、訪泰」という記述の繰り返し)
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    • 2000年 9月13日: 日本にて婚姻届け提出(私)
    • 2000年10月 9日: タイにて婚姻届け提出(妻)
    • 2000年10月30日〜11月15日: 結婚式の為、訪泰
    • (11月5日 結婚式及び結婚披露宴、於××××)
      (11月11日〜11月13日 チェンマイに新婚旅行)

    • 2000年12月9日〜12月12日: インドネシア出張の帰途、妻に会うため訪泰
    • 2001年 3月26日: 妻の在留資格認定証明書が交付される
2.今後の生活設計等について

     私の業務上、東南アジア諸国を訪問する機会が多い為、タイという国とタイ人に対して全く抵抗感がありませんでしたし、逆に以前から非常に興味がありました。

     また、妻自身も昔から日本に興味を持ち独学で日本語の勉強をした事があったのも、私と知り合い交際をする上で非常に幸運であったと思います。

     交際を進める中で妻の日本語会話はある程度上達したのですが、日本入国後は居住地でる神奈川県××市が主催する国際交流協会の日本語講座に通わせ、会話だけでなく読み書きについても習得させる予定でおります。

     また、ボランティア活動にも興味があるので、国際交流協会等の活動にも何らかの形で参加し、日泰間の交流に役立てれば、と考えております。

2001年4月××日
氏名: ××××××(自筆サイン)+印


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